しかし,最も説得力のある証拠は神の言葉にあります。使徒パウロはこう述べています。「キリストはわたしたちの代わりにのろわれたものとなり,こうしてわたしたちを律法ののろいから買い取って釈放してくださったのです。『杭[「木」,「新共同訳」,共同訳聖書実行委員会]に掛けられる者は皆のろわれた者である』と書かれているからです」。(ガラテア 3:13)ここでパウロは,十字架ではなくはっきり杭に言及している申命記 21章22,23節を引き合いに出しています。そのような処刑の手段により,人は「のろわれたもの」となったのですから,キリストが杭に付けられている像をクリスチャンが自宅の飾りとして用いるのは正しいことではないでしょう。
キリストの死後300年間について言えば,クリスチャンであると称する人たちが十字架を崇拝に用いたという証拠はありません。ところが4世紀になって,異教を奉じていた皇帝コンスタンティヌスが,背教したキリスト教に改宗し,その象徴として十字架を奨励しました。この皇帝がどんな動機を抱いていたにせよ,十字架はイエス・キリストとは何の関係もありませんでした。それどころか十字架は異教から出ています。「新カトリック百科事典」(英語)は次のことを認めています。「十字架はキリスト教以前の文化にも,非キリスト教文化にも見いだせる」。他の様々な専門家たち も,十字架を自然崇拝ならびに異教の性崇拝の儀式と関連づけています。
ではなぜ,この異教の象徴が奨励されたのでしょうか。その目的は,“キリスト教”を異教徒にとって受け入れやすいものとすることにあったようです。しかし,何であれ異教の象徴を専心の対象とすることは,聖書によって明確に非とされています。(コリント第二 6:14‐18)聖書は,どんな形態の偶像礼拝も禁じています。(出エジプト記 20:4,5。コリント第一 10:14)ですから,真のクリスチャンが崇拝に十字架を用いないことには正当な理由があるのです。 *
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