女性同性愛の最も古い記録は、おおよそ紀元前625~570年頃、古代ギリシアのレスボス島に住んでいたサッポー(Sappho, 恋愛をテーマとした官能的な詩を残した女流詩人)とされている。レスボス島がレズビアンの、サッポーの名が「サフィズム」という女性同性愛を示す言葉の語源ともなっている。現代の学説では、サッポーが育んだ教え子である少女との友愛関係は、古代ギリシアにおける同性愛と同様のものとの提唱がなされている。また、レズビアンの関係については古代スパルタ人であるラケダイモン人の間においても一般的であった。プルタルコスは「淑女を性の対象とする女性の間においても、愛は尊重された」と記している。
古代中国史においてもレズビアンに関する詩や物語の記録が残されている。人類学者ライザ・ダルビーの研究によれば、平安時代の日本においてもレズビアンが社会的に受け入れられていたとされている。中世のアラビアにおいてはハーレムを構成する女性達の間での同性愛関係が記録されているが、ときにこれは弾圧された。一例を挙げると、当時の指導者ムーサ・アル・ハディは情交していた2人の少女に対し斬首刑を求刑している。
12世紀、Etienne de Fougeresは、当時のヨーロッパにおいて「まっとうな性」を歩もうとするレズビアン達のいかなる声をも拒絶する社会的な風潮を反映して、社交儀礼に関する自身の著書(Livre des manieres, 1170年頃)の中で「雄鶏のふりをする雌鳥」と、レズビアンを嘲笑している。