|
最近、同じ双極性の人と知り合って話す機会があった。
彼は、精神障害と知的障害の違いを細かく説明し、本人は精神科にかかってるから自分は精神障害と認知しているが、実際は知的障害も発症している例は多くあり、就労支援も精神の障害者と知的の障害者は一緒にしない方がお互いのコミュニケーションに良くないストレスが生まれる、と話す。
今日子さんが知的の人と問題なく仲良くなり、就労支援に通えたのも今日子さんが言い方は悪くて申し訳ないがあまり働いた経験がなく社会の軋轢をほぼ経験してないからだよ、と。
わたしはそんなに精神は、とか知的は、とか意識して違いなど考えなかったし知能は発症により大幅に下がってても一般就労をしている人は大勢いたので尚の事働ける努力を間近で見てわたしは無理だしなぁと尊敬の目を向けていた。
本当に社会人として苦労し切磋琢磨働いて病気になった人なら、障害は隠して復帰したいだろう、そこはわかる。
「俺、思うけど障害者だって雇用主に明かして就労できる人ってそもそも病気ではないと思うよ、障害者だってこと隠さないってことは悩んでない、てことじゃないの?俺なら隠したい、なんで障害者だなんて自分から明かす必要がある?そこまでしなきゃ復帰ができないなんてなんか変だよ」
障害を受け入れられた人は、障害者だと違和感なく断言する人は、悩んだ末の判断だとしても障害を受け入れることが難しい、例えばコミュニティーにも溶け込めないのは明らかに障害者として生きざるおえないのに苦悩している人。
昔に健常者で働き、結婚も経験し、離婚し、そこから崩れるように自由を失速していった。」
わたしにも紆余曲折があった。
すぐに障害者として順応した訳ではない。
働いていたときは、障害は隠していた。障害を明かしたからといって職場ですんなり働く人に切り替われることではない。
人は劣等意識や誰かを見下して自己の正当性を示したい欲望に駆られる。自分の病気がどれだけ悪く、オープンで働く障害者が悩んでいないなんてどうして言い切れる?
プライドを捨てたくない、自分を認めてほしい、それはみんなそうだ。彼に必要なことなどない。障害者であることを受け入れられないので苦しいのだから受け入れたくないなら、苦しむことや現実逃避などいくらでも・・・
好きなことは必死に食らいつくのは、同じ。
彼は、いま、恋人探しに躍起になってる。
否定しない、人の自由。障害者が障害者を見下すのはよくあること。彼の行き着く先は、愛の世界なのだろうか。
そこには、わたしはとても懐疑的だ。 |
|
|
|
|