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私は祖母の代からバチカン系のカトリックだし、聖母マリアに助けられたと思う事が多々ある。
しかしキリスト教的な強引な考え方は嫌いな部分もあるし、何より日本人として日本神話が好きだ(高天原が朝鮮だとかどうにも腑に落ちない部分もあるにはあるが)。
従って神社も好きで色々学んだ。
昔から尊敬する修験者の方がいたから若年で修験を学び、霊能者として多くの依頼人の相談を受けたりした。
仙道を学ぶ過程で真言立川流と出会い、密教、陰陽道、道教を学んだ。
それよりなによりも戦国大名であった私の先祖は戦地で毘沙門天と勝軍地蔵と摩利支天の真言を唱えながら、
その像を抱きながら闘ったという歴史が私自身の神(しん:記憶:遺伝子:魂)に刻み込まれている。
その信仰の遺伝子(神:しん)があるからこそ今の私があるのだと確信している。
十字も切れば印契も結び真言も唱える。
偽経も唱えれば祝詞も唱える。
紫薇斗数で占い、符咒も霊符も使い、九字を切り、識神を遣い、庚申信仰もしてオシラサマ信仰もする。
飯綱も遣えば狗神も遣う。
しかしそのベースとなっているのは礼学にあり、仙道、そして道教にある。
何が霊能者なのかこちらが訊きたいくらいだが一つの確固たる思想と道徳観を持った人間であり一の仙道家だ。
もしかしたら私は全ての霊能者、オカルト気功師という存在を終わらせる為に仙道家になったのかもしれないがこの際どうでも良い。
迷う奴は迷え。
迷わぬ奴は突き進め。
ただ霊能者というのは人の道に外れている。
神社巡りで感謝感謝の押し売り軍団に踊らされて陰氣に塗れた人生を終えるのならそれはそいつの選んだ道である。
自分の生まれ持った力、精・氣・神に触れ、本来の自分に近付く事が先だと思えば手遅れになる前に物事の本質を見極めるべきだ。
それが私にとっての道(どう)の教えであり仙道だ。
河車を回した状態で、否、温養が出来た状態で神社なりパワースポットなりに行ってみると良い。
感謝感謝、良い氣良い氣と呪文の様に唱えていた呪縛から解き放たれてあなた自身も魂が解放される事だろう。
無論宗教は自由だ。
尤も私のは宗教ではなくただの技術と哲学と道徳でしかないのだが。
尺の都合という奴で申し訳無いのだが今回玄典派に付いては後回しにして、もう一つの双修である内丹に付いて続けようか。
前回の武息を遣って貰いたい。
5・5・5の武息で腹を膨らませて肛門を締めて鼻から小刻みに力強く吸って臍下丹田に氣を降ろして止氣で留める。
鼻息が荒くなり自分で音が聞こえるくらいで構わない。
肛門に力を入れるのは吸氣と止氣だ。
この時に体が多少前のめりになる人がいるが構わない。
止氣の姿勢もそのままで構わない。
問題は吐氣だ。
最初に温養をこなせるまでの間は必ず鼻から行う事。
下腹を凹ませて肛門を緩めながら行う。
ここで陽氣が発生しにくい人もいるが別途教える。
取り敢えずは出来る人を基準にして引っ張っていく。
肛門、性器が熱くなってきただろうか?
丹田に渦巻くような焔の氣をイメージして欲しい。
そのまま尾閭(尾てい骨)にその熱い氣を移動させる。
女性であれば尚更性器が熱く煮えたぎる様な感覚があると思う。
男性は勃起する人もいれば精子が先端から滲む人もいるがそうなったら止めた方が良い。
濁精と言って、玄典派を習得しない内は雑念が性欲を掻き立て精を常に外に放出しようと働きかける。
良質な氣は純精と言って性欲とは無関係な氣だと思ってくれて良い。
肛門の括約筋が緩い人はとかく性器に氣が流れてしまいがちなので、肛門医のとある名医が勧める様な肛門運動を行うと良い。
十秒間肛門を締めて急激に肛門を緩めてまた十秒間肛門を締める事の繰り返しだ。
女性がこれを行えば膣の括約筋を鍛える事が出来て、より幸せな恋愛を謳歌出来る事に繋がるだろう。
それはさておき
問題は文息だ。
そもそも陽氣を発生させる事が出来なければ文息は出来ない。
それはただの調息だ。
肛門の締め上げを行わずにゆっくりとした呼吸で下腹の動きが伴い、ただ陽氣を回す事が出来る。
前述した漫画出演しているオカルト気功家がしきりに出来ない出来ないと言っていたのがこの文息だ。
文息とは意識を全くせずに自然と行われなければならない。
完全にリラックスしている状態で行われる呼吸だ。
このオカルト気功家に何が出来ないのかと訊くと、「呼吸を意識してしまって、呼吸の事しか考えられなくなって呼吸法が出来ない」と言っていたのだ。
当然文息が出来ないという事を指す。
意識している時点でそれは文息ではなくて半文息、いわゆる調息となる。
緩やかな肛門の絞め上げを伴うのだが、私に言わせればこんな基礎的な事は、どうせならそのまま尾閭や会陰を強く意識して欲しい。
会陰(肛門と性器の間)が苦手(下手という意味ではなく温養に時間が掛かるという意味)という人は夾脊でも構わない。
夾脊は腎臓の裏と覚えておいて良い。
そうこうして半文息を行い続けて凡そ10分以内に下半身しか意識しなくなる様ならしめたものだ。
なかなか良い流れだ。
そのまま下半身にのみ意識を掛けて調息を行なって欲しい。
それを武火文息と言う。
要はこの段階では陽氣を煉れさえすればそれで良いのだ。
今一度訊こう。尾閭か会陰、丹田に暖かい氣は降りてきたか?
出来ない人は様々な問題がある。
季節、年齢、性別、健康状態、生活環境、体重、身長、骨格、癖、性格、罹病歴、怪我の有無、食生活、睡眠時間、嗜好品の有無、宗教に因るストレス、労働時間、
一々アドバイスしてやりたいのは山々なのだが取り敢えず今回はしばらくお待ち戴きたい。
後程別にサポートする記事を載せる。
少しでも煉れるかどうか、陽氣を発生させられるかどうかが差し当たっての問題となる。
出来た人を基準に次に進めようと思う。
最後にアドバイス。
武息さえ完全に出来れば文火は自然に出来る人も少なくない。
どうしても出来ないという人は興奮する様な社会環境に常に晒されている可能性がある。
くれぐれも酒等に走らずに寝る前にリラックスした状態で焦らずに調息を行なって、なんとか武火文息に持って行って欲しい。
次回はより詳しく進陽火を解説する。
仙鶯八雲
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