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自分の研究の末、思索の末気づいたのだが、
ぼくらの精神がもし気というか、量子情報でできているとすると、それが宿る、この脳および身体は、まさに時代(や環境)の「空気(気=量子情報)」との反応の中で、行動が決まっているだけで、ひょっとしたら、自由意志なんてないかもしれんのだ。自分の意志の根源を探ると、その自由意志そのものははたして自由にできるのかどうかわからん。どうどうめぐりだ。人の「器」がこの脳および身体で、そこに入る気が量子情報(時代の空気など)と捉えると、うまく対応する。器が大きい人とは量子情報処理のキャパシティの大きい人かもしれん。天命は人の器とその人の生きる時代の空気で決定されると考えられる。自分は何のために生まれてきたか、考えたことはあるかい?
カオスという、初期状態の違いが後々に大きな差異をもたらす基本的な現象に対する観点からして、量子情報のちょっとした最初の動きの違いから同じような環境条件における身体において生じる意志の異なり方が、自由意志に見えるだけなのではないかと思うようになった。まだ定かではないが。つまり、すべては物理法則に従う現象におさまる。
君は量子論を少しはかじったことないかい?電子とか光(光子)とかの素粒子たちはみんな波動とも粒子とも判別不能な、量子と呼ばれるのだが。
よって、悪人も善人も、社会が決めてるだけで、発生率や犯罪も社会現象もすべて物理法則に従っている。
これって、仏教に通じる考え方だと思わんかい?
誰も悪くない、よくもない、ただあるがままだ。
僕らは仏さんの手の中から脱出しようとする孫悟空のようなものだ、というのもこの法則から抜け出られんことというか、支配されているということを師って自覚するとどうなるか、そこが人間の万物の霊長と呼ばれる所以かもしれないところだ。人間の精神が物理法則から脱出すること、それが解脱かもしれないのだ。形而下(physics)から形而上(metaphysics)への脱出。
曼陀羅はフラクタル(自己相似形)というカオスが平衡に落ち着いたときの(流体が内部でぶつかり合わないでスムーズに流れるような)構造だ。精神が平衡に落ち着くために観るのものだ。観るだけで精神病治療に使える。 |
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