新川信男の詳しい歴史、逸話はここに記す
・二歳の頃、己を解放せんとタップダンスしながらブレイクダンスを試みる。しかし身体を大きくひねりすぎて腰を痛める。だのにも関わらず、己の解放を続けようとしたため大負傷。現在では完治。
・信男が幼稚園に入園したての頃、アメリカンクラッカーというものが流行っていた。信男は流行に乗るためにアメリカンクラッカーを使用した解放を思案し、解放仲間を増やそうと奮起。しかし良い案が浮かばず挫折してしまった。しかし己の解放に流行の物を使うと言うことは流行の変化ごとに解放の流れを変えてしまうということ。信男はこのことに、年を取ってから気づき、反省と共に、このような事はあってはならないと心に言い聞かせた。
・五歳の頃、己の解放に成功する。あまりにもぎこちなく、拙い解放であったが信男の顔には自然に涙が流れていた。
・信男の幼稚園時代、昼寝の時間に解放を行うと園児の睡眠の妨害になると先生に注意される。信男は反省して静かに解放を行う無音式無解放を行うが、自分の理想の解放法に依らない方法であったため、これでは意味がないと思い、先生に反発し己を解放する。酷く怒られたが、自分の使命を園長に言うと信男のみ解放の時間が設けられた。信男は園長に大変感謝し、昼寝の時間は解放に明け暮れた。
・六歳の頃、己の解放を極めんと決意。己の解放を行うことこそが信男の使命であると自覚した年でもある。親は大層心配したという逸話も。
・小学生時代は毎日のように己の解放を行っていた。当初は友人も出来なく、学校の成績も悪かったが、己の解放をしていくうちに認めあえる仲間も出来る。さらに成績も学校トップとなり、彼女もできる。己の解放をしなかった恋のライバルは志望中学にも落ち、彼女には逃げられ、お小遣いも減らされることとなった。
・信男の少年時代の好物は空豆だった。信男は空豆が好きすぎて空豆を一日に百粒食べる勢いで食べていた。
・信男の小学生時代、まだ友達もいなかった頃…彼は孤独に解放を続けていた。ある日、防災訓練が学校で実施された。その時信男は先回りをして校庭で己の解放を行い自分の存在・解放・生き様を他人に誇示しようとしたが、集合場所は体育館であったため、信男は赤っ恥をかいたという。結局下校時間まで解放を続けていた。
・小学校卒業の頃、解放締めだと言い教室にて全裸で己の解放を行う。もちろん教師に止められたが己の解放の勢いや凄まじく制止出来なかった。問題になりかけたが、信男が事情を説明したところ沈静化に成功した。
・中学入学時、信男は上級生の間でも有名で、目をつけられていた。しかし信男はそれを無視し、己を解放。上級生はあまりの壮絶さに腰を抜かし、今後信男には近づかなかったという。
・上記の通り信男は上級生に狙われることは無くなったが、教員はそうはいかなかった。信男は行事の度に解放を全裸で行おうとするため、教師の悩みの種だった。
・中学三年の受験期、彼女に振られる。何故かというと己の解放を続けた信男にもはや単なる他者に対する優越感のために存在する女性は必要なかったからだ。そのことで彼女と行き違い別れる結果となった。
・中学時代、最後の冬休みの頃、危険な解放法とされる空中回転座禅解放法に成功。信男はその時体操部にスカウトされるが部長を殴り、何度か蹴り、立ち去った。何故、殴ったかと理由を聞かれても未だに信男は口を閉ざしたままである。体操部部長は信男に恋慕の情を抱くが、信男はそれを拒否。
・私立高校入学試験の時、己の解放を試みる。試験官に注意をされたが無視。事情を説明したところ怒鳴られるも、こちらの正当性を大声で説明する。それに胸を打たれた他の試験官が信男の行いを見逃して欲しいと試験官に懇願。信男は無事に試験を受けられたが、試験には落ちた。
・大学入試時は物静かであった。しかし、心の中には己を解放したい欲求が限界まで溜まっていたため、試験終了の予鈴と共に解放。勢い余って射精をしてしまい大問題に。信男は必死に事情を説明。何とか騒ぎは収まったが、未だに新川信男射精事件は語り継がれている。この件について信男は「私の解放の勢いが強かったためこのような結果になってしまった。申し訳ない」とコメントしている。
・信男が大学へ入学した当初、サークルという物に興味があった。解放研究部というものを結成し、己の解放を促進しようと発起したが、顧問と部員と許可、全てが無かったため断念した。諦めきれない信男は解放セミナーを開き毎日教室を借りて解放を披露した。
・信男が大学を中退した理由として様々な推測がされているが、その中でも加山氏の推測に依れば、「信男は大学で学べることは学び尽くしたので、中退した。」とのことである。だが信男は大学に入学してから一度も授業に出席したことはない。