|
| ベアトリーチェ・ディ・テンダ(テンダのベアトリーチェ) |
|
「ベアトリーチェ・ディ・テンダ(テンダのベアトリーチェ)」 ベッリーニ
フィリポ ミケーレ・カルマンディ
ベアトリーチェ ディミトラ・テオドッシュウ
アニェーゼ ホセ・マリア・ロ・モナコ
オロンベルロ アレハンドロ・ロイ
アニキーノ ミケーレ・マウロ
リッツァルド アルフィオ・マルレッタ
アントニオ・ピロルリ指揮
カターニア・ベルリーニ劇場管弦楽団
またまた、BSプレミアムネタ。
「ボリス・ゴドノフ」(と同じ日のもう一本)は聴いてないのでなんとも言えないけど、
小澤「マノン・レスコー」以来のBSプレミアムのオペラで、一番、しっくりきた。
ベッリーニの生地のオペラハウスでの上演。
指揮者、歌手についても、まったく知らない人ばかり。
ただ、名前からして、指揮者はイタリア人っぽい。イタリアの地方の劇場だから、まさか、
外国人の指揮者ということもないだろう。
ベアトリーチェのテオドッシュウス、ネットで調べてみたら、来日もしてるのだそうだ。
最近、シャイーの「リゴレット」のCD(DVDではなくて、CD)や、セラフィンの
「リゴレット」や「トゥーランドット」を聴いて、イタリアオペラの指揮はやっぱり、
イタリアの指揮者がいいなぁ、と。
どういいか、というと、いままで他国の指揮者だと、なんか、しっくりこない、違和感が
ある、という感じがしてた。
楽譜の解釈が違ってくるのか。微妙なところなんだろうけど、とにかく、なんかしっくり
こない。「リゴレット」にしろ「トゥーランドット」にしろ、歌とオケがうまく貼り合わ
さってない、とでもいうか。それが、イタリアの指揮者だととてもしっくりくる。
この「ベアトリーチェ」、最近、たまたま、ボニング指揮、ロンドン管、サザーランドの
ベアトリーチェで聴いていたところ。比べると、これは、硬い。別の曲のような感じさえ
する。
今回のピロルリのは、そういう感じはなく、とても自然だった。
また、「ベル・カント」についても、今回のテオドッシュウのは、今まで思っていたのと
は違ったものだと、というより、これがベル・カントの本質なのかと思わせてくれるもの
だった。
「ベル・カント」というとなんとなく、高度に技巧的装飾を駆使した、あるいは、伴った
歌唱、という感じで、おもに声楽的、技巧的美しさ、もっと言えば、うわべだけの美しさ、
を追求するような、表現するようなそんなイメージがあった。でも、それこそが、外国人
の理解なのだと思った。
今回のテオドッシュウが表現したベル・カントはそういったものではなく、公妃ベアトリ
ーチェの人柄、心の清らかさ、美しさといったもので、それが結果としていわゆる「ベル・
カント」のような歌唱になった、というに過ぎない。
つまり、「ベル・カント」とは、高度に様式化された内面の表現(たとえば美しい、清ら
かな人柄といったもの)であり、ただ、技巧的な美しさを競うものではない。
ちなみに、wikeで「ベルカント」のところを見てみると、「ベルカント」の衰退の理
由のひとつに、「オペラをはじめとした声楽作品が、ヴァーグナーやヴェルディなどに典
型的に見られるように、技巧的装飾よりも、より内面的な、劇的で力強い表現を中心と
したスタイルに変化していったこと」をあげているが、これからも明らかなように、
「ベル・カント」は内面の表現ではない、というのが一般的なイメージや理解なのだろう。
でも、そうではない、というのが、今回のテオドッシュウだった。
そして、それこそが、イタリアオペラなんだな~、いいなぁ・・・と(笑
http://dannankanjian.blog87.fc2.com/blog-entry-96.html |
|
|
|
|