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つまり、この音楽は西ヨーロッパでそれを取り上げる時、演奏するほうも聴くほうも、かつては自身の政治的見解を多かれ少なかれ問わざるを得ない状況があって、それってただただ「音楽を楽しむ」というには、ちょっと騒がし過ぎるところがあったでしょう。このあたりの景況は、日本では必ずしも意識されていないような気がするのですが、早い話、今のベルリンフィルハーモニー・ホールだって、東西冷戦の最中にベルリンの壁のすぐ近くに、これ見よがしに建てられたのであって、これまた「東への圧倒的な広告塔としてのベルリンフィル」という政治的メッセージが明らかにあったはずです(カラヤンはそれを元手に、世界に冠たるオーケストラを作り上げたのでした。決して芸術世界だけで生きた音楽家ではなかったのです)。
そういう歴史的経緯を負っているこの曲を、東西冷戦の最前線であったベルリンの音楽愛好家とベルリンフィルがどう受け止め、それを今回なぜ佐渡裕に振らせようとしたのか、私はそのあたりまで興味を広げて観ていたのでした。
この第五番の持つベートーヴェン以来の「苦悩から歓喜へ」という、ある意味非常に分かりやすい交響楽的構図が、逆にそれゆえに政治に利用もされ、はたまた西側で演奏される時には、ショスタコーヴィッチの暗喩に満ちた体制批判の意味合いが、この曲には見て取れるといった、はなはだ持って回った理由付けをしないと演奏出来ないという時代ははるか過ぎ去り、今やそうした熱い冷戦を目の当たりにしなかった極東の新進気鋭の指揮者に振らせれば、どんな音楽が聴けるだろう。党派性を殺ぎ落としてみれば、この音楽の価値はごく客観的にどのくらいのものなのだろう?というのがベルリン子の主たる関心事であったのではないかという気がする。
ヨーロッパ生まれの指揮者に振らせるには、まだまだこの曲に対する音楽以外のところから来るわだかまりというのが、演奏する側にも聴く側にも現れざるを得ないのではないか?極東の若手指揮者の手によって、一切の余計な境雑物を排して安心して聴いてみたい、といったところが合ったかもしれないのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/tnernt/diary/201106210000/ |
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