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ひとつ
努力をする気が満々なのに努力の仕方、とり組み方については真剣に検討・考察してこなかったこと。頑張るの一点張りでは限界が来る。
ひとつ
人と向き合ってこなかったこと。愛する相手とさえ、ぼくは向き合ってこなかったようだ。かわいい女の子にその内面的欠点を指摘することはなかなかできるものではなかった。相手に好かれたい一心だったのだろう。でもそれは相手を愛していることにならないし、道徳的でもない。したがって、自分が愛されることもない。
ひとつ
自分に素直に生きてこなかったこと。
努力することは、頑張ることは、いいことかもしれない。
しかし、それがこの世の事象についての一部ばかりをつつくような努力であったりしては、心がまともに育たない。
つまり、統合的な意味での自分というものに対して、素直な生き方とは言えなかったのだ。自分とさえ向き合っていなかったのだ。だから分裂的な病気になったのだ。
自由に生きるとは、そういう条件が要るのではないだろうか。そうでなければ真の満足など得られるはずがない。
なぜマンダラのような円相が重視されるかといえば、
自己という、縁あるものすべてに対して円満であるべき存在になるのでなければ、自分を真に満足させたとはいえない、という、動かしがたい現実の反映といえるのではないか。
近代的自我中心主義の持つ悪徳がこれで露呈されるのである。
自分さえ良ければいいと人は思うかもしれない。
しかし、自分とは何かを本当は知らない。
精神的な病の多さは近代の特徴なのだ。言い方は悪いのだけど、自業自得がその本質であり、皆がそれを自覚しなければ、精神病やうつ病をまともに減少させることはできないのだ。つまり、被害者も加害者も無事ではすまない。両方とも自分とは相手を含むものであることに気づいていないからである。 |
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