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9/23土昼オン会鯖のdiplomacyの結果。
1位 フランス(Sen) 21補給都市
2位 オスマン・トルコ(FAZZさん) 11補給都市
3位 イタリア(Uさん) 2補給都市
4位 ロシア(gakuto001さん) 0補給都市
5位 イギリス(Pngさん) 1907年秋滅亡
6位 オーストリア=ハンガリー(KINOKOさん) 1907年秋滅亡
7位 ドイツ(mohejiさん) 1904年秋滅亡
ログ
http://webdiplomacy.net/board.php?gameID=206965&nocache=785
オン会の一次会。何かボドゲ的なものをやろうということで流れでdiplomacyに。
序盤は伊土墺でバルカンを取り合い、仏はイベリアとベルギーを確保、独英は連合して露と対立。
1903年に仏が英本土への上陸に成功しまたオランダとミュンヘンを抑えたことで英独連合は瓦解。
1904年になるとようやくバルカン情勢が落ち着き、土は露の二都市を電撃的に奪取、伊は西方へ転換、墺は何をしていたのか良くわからない。
1905年になり伊が仏との不可侵を破棄し侵攻。この頃英本土は仏に制圧され、独領は仏露に二分割されていた。しかし伊の裏切りは陸軍が英に出払っていた仏にとってはかなりの痛手となり、マルセイユとスペインを奪われる。
1906年秋、墺がヴェネチアを奪取。しかしこれは伊の怒りを買い、伊はマルセイユ及びスペインの返還を条件に仏と和平。ここで仏は墺を支援していたのだが、上手くヘイト逸らしができた。墺は仏にウィーンを取られているのに協力することは無かったのではないか?
その後は墺は滅亡、露は土と仏(裏切った)に押されて瀕死に。仏が伊都市とスカンディナビアを取って過半数で勝利。
全体的に見ると、墺伊はバルカンに固執しすぎたのが敗因か。露は土方面の警戒を怠りすぎていた。独英は外交の失敗だろうか。土は序盤の消極的な動きが気になった。
初心者も多かったし最初の方はルールの誤認もあったので、またやりたい。てかやろう。長期鯖でもいい。 |
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